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「初めての不思議な音場と音像」 VIDEOTON D93 MUSICALE ENCYCLOPAEDIA (HUNGARY)

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アンプ(DENON PMA-300Z)からオーディオの入口に這入ったものの、ベースがアンサンブルステレオでは如何ともし難く、直接耳に訴えかけるスピーカーの存在が、日に日に大きくなり、今まで見向きもしなかったオーディオショップにも、自然に足が向くようになりました。 スピーカーも変わっていき・・・最悪の音であり、最高の教師になった 「 VICTOR SX-3」 国産では無くアメリカンを初めて意識させた 「 SANSUI LM033」 オーディオの迷宮・魔界の入口に片足を突っ込んだ 「JBL 4311A」さらなる深遠な世界・・・この時、心が入り込んで行ったのかもしれません。   ある日、毎日の通勤の傍ら、存在は知っていましたが、門をくぐるには至らなった専門店に這入って・・・異様な光景が眼前に・・・天井まで4~5m、左右6~7m、奥行き6~7mの空間にブックシェルフスピーカーが7~8組、6段程が壁状に積み上げられ、見上げる様に音を聞く・・・圧迫感が凄い!!・・・地震が起きたら万事休す、何を考えているのやら・・・理解不能!! 当時の一般的な電気屋さんは当然としても、多くのオーディオショップにも、最高の状態もしくは最高に近い状態で試聴する・させる概念は無く、スピーカーケーブルに依り音が変わる・影響される等、商品を売る上で考える必要は無く、スピーカーセレクターに全て繋ぎ、50組余りのスピーカーを切り替え、兎に角聞かせる事が重要な時代、多くのお店でスピーカーの積み重ねは普通に見られましたが、この壁は尋常では有りませ・・・ この異様で不安定な壁を眺めていると・・・・不思議な感じが・・・とても変わった感じに成りました・・・宙をさ迷うのです・・・音が脳が揺ら揺らゆっくりと浮遊するのです スピーカーから出ている音です・・・探します・・・どのスピーカーから音が出ているのか?目と耳で探しますが・・・判りません・・・壁に近づき、見当をつけ一本一本耳を当て確認していきます・・・・10組が過ぎ20組目も耳を当てますが・・・皆目見当が付きません。 この中の一組から発せられた音です・・・音が壁全体を覆います、柔らかく浮遊するのです・・・まるで西洋絵画のキリスト降臨か、キューピットが宙を舞うかの様です。 広大な音場空間の中で左右に僅かに音像が有

「こんなの邪道」JBL 4311A

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Victor SX-3「オーディオスピーカー最低の音?」からSansui LM022「この鳴りっぷりと元気」へ・・・次はやはりJBLになりますよね。 オーディオに興味を持ち始めた人なら、当然の様に進む道なんですけど・・・ Sansui LM022で味わった和製アメリカンサウンド(カリフォルニアサウンド)は気持ちの良い鳴りっぷりで一つの方向性を示してくれたのですが、次のステップに躊躇が有り、どうしても受け入れたくない事や物が有るんです。 JBL 4310~4312シリーズがそれです。 4310から始まり4311-4312と続いていくJBLのロングランスピーカーなのに、随分大雑把なくくりに思われるかと思いますが、ロングランスピーカーですから、当然シリーズの中で改良が加えられ、幾つものバリエーションが存在する事は私も知っていますが・・・ 初期の4310や4311のアルニコ仕様と以降のフェライト仕様では磁気回路自体も大きく変わり設計から全くの別物、4312時代にはスコーカーは当の昔にの変更され別物になっていましたが、チタンツイータに拠り、4310発売当時の視点で、サイズを超え完成されバランスに加え、エネルギッシュな音との形容で全て語れるほどだったスピーカも、時代の音へ対応し、「このシリーズなり」に当時には無かった、洗練された音へと変化していきましたが、私にはどれも一緒なんです! 何故なのか? 基本的にシンプルで単純な物に美を感じる私には。大きく目立つ白いコーンが受け入れられません。白いコーンは見た目のインパクトや美しさが有るのにどうしてなのか? 答えは全シリーズに採用の白いコーンです。 厳密には湿布剤ランサプラス(アクアプラス)の存在です。 ここから先は、私の思い込みと理想の話です。 ランサプラスは「逃げであり邪道」です。 設置場所や使用用途・コスト等を考えて(制約により)ペーパーコーン素材で設計し振動板を作りましたが、容積の制限で振動板のサイズが小さく、思うような低音域再生が出来ませんでした。 困りました・・・等価質量(Mo)不足で最低共振周波数(fo)が思うように下げられません。 どうしましょう・・・質量制御リングに頼ろうか?・・・うーん もっと簡単な方法で良いじゃない!コーン自

「レコードが苦手」DENON DP-3000・ORTOFON AS212・ADC QLM36MKⅡ

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プレーヤーの順番に成りましたが、プレーヤーに殆ど興味が有りません。 この当時から入口(プレーヤー)と出口(スピーカー)の重要性に付いて認識は有りましたが、興味が湧きません・・・原因は判っています・・・触手が伸びません。 レコードのカッター針とレコード針の関係、簡単に言ってしまえばカッティング後のレコード溝とレコード針の物理的不適合の問題が気持ち悪い・・・頭の中で解決出来ない・・・丸針、楕円針、ラインコンタクト針、マイクロリニア針、シバタ針など形状が違えどカット溝とイコールには成らない。 埃や静電気に拠るスクラッチノイズからの開放が物理的に困難・・・不可能・・・埃は取り切れないし、静電気も強力に帯電してしまった物はスプレー等でも除去が難しく、音質的にも多大な影響を及ぼす等、扱いが難しく、厄介・・・ レコード盤の反りや回転ムラ(クオーツ以前)などのワウフラッターや、アームの追随性や外周と内周の音質差など、構造的に回避不可能な問題が山積みのカテゴリー・・・ トラッキングの解決策で成りえたリニアトラッキングは何故普及しなかったのか? 現実はリニアで横移動を繰り返しトラッキングが不安定で、常に片側トレースになりトラッキングの解消には成らなかった事(厳密には重箱に角を突く様な話)と精密すぎ故障が多すぎた。 もしかしたら最大の理由は、オーディオ機器の中でも遊べる部分(自分好みに変えられる)が多いアーム・シェル・針などの交換が大幅に制約され、趣味の世界の大事な部分、所有欲が制限されるなど趣味性に欠けた・・・ORTOFON A/G・SMEなどが使えない・・・ 時期的にも熟成度に関しても製品化された時代が早すぎた?・・・「とどのつまり」リニアトラッキングを採用してみたら、トラッキングの影響を解消できず「実は再生に関してトラッキングは大した事では無かった」事になり?スイングアームに思考回路が戻った。 Technics SL-10 ¥100,000(1979年12月発売) 発売された時は期待しましたが、殆どのメーカーが撤退、唯一テクニクスがオーディオ製品省スペース化の流れの中、設置スペース改善策として一時期認知されるに留まり収束していき、私の入口はCDプレーヤーの普及までお預けに成ります。 良く超ど級マニアの方の紹介記事で、重量級プ

「この鳴りっぷりと元気」SANSUI LM033 / LM022

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VICTOR SX-3以来スピーカー探しの旅は続いています。 少しばかり衝撃的な体験の影響は大きかったのか? 脳と体に焼き付き、消えない刻印が刻み込まれたのは事実です・・・只、向かうべき方向と光も同じくらい?それ以上に見えた様な・・・ポジティブシンキングでしょ? 楽天的な人生を送ってはいますが、オーディオに関しては、拠りポジティブ全開、学ぶ事・感じる事・体験する事、一杯一杯が多すぎて、五感の全てを使い前に進むのみ・・・ オーディオショップ巡りも日常になり、また訪れたスピーカーの前・・・なにやら元気です、今まで聞いた事が無い「明るく元気」な音・・・弾ける音先はアメリカ?・・・ノー天気な明るさと元気・・・馬鹿なの?節度は無いの、慎みは?・・・関係ないねと鳴っているのはSANSUI LM033でした。 SANSUI LM033 ¥37,000(1台、1975年頃) 使用ユニット  低域用:25.5cmコーン型/高域用:6.5cmコーン型 周波数特性  34Hz~20kHz クロスオーバー周波数  1.5kHz(12dB/oct) 出力音圧レベル 92dB(新JIS) 外形寸法 幅310x高さ710x奥行304mm 重量  18.7kg ユニットに対しマグネットはVICTOR SX-3と同様に小さく、特にウーハー用は明らかに小さいSX-3と全く同じ、この価格帯の限界が見え隠れします・・・でも、出てきた音は真逆・・・双方とも意欲作、VICTORにとって初めてのビックヒットに成長し、SANSUIにとってはJBLとのコラボ後、JBLの音を自分たちの音として消化しようとした意欲、どちらも会社の方向性を左右するほどの力の入れ様とやる気を感じさせ、開発の方向性が違うここまで違う物が出来上がるかの見本の様な出来栄えでした。 似た所・違う所が混在、全くの別物では有りません。 一本の大きな木の幹は同じ(ウーハー約25cm振動板に対しエッジ比率が非常に大きい・ツイーター5~6cm・マグネット弱い)から枝分かれ(ウーハーエッジとツイーターの構造と素材が真逆・エンクロージャーのコンセプト・形状と硬性が真逆)2台の違いを理解する事で、設計の違いによる音の出方が試聴前に判る様に成っていき、スピーカーを理解する上で良い参考書に成っ

「オーディオスピーカー最低の音?」VICTOR SX-3

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DENON PMA-300Zへの変更だけの結果は、未熟ゆえ期待値に遠く及ばずハズレを引いた感じに成りましたが、聞く人が聞けば大きな前進で有ったのかもしれません。 アンプのコンセプトは求めるものと同一線上に有る・・・・そんな感じがまだ有る限り、次の段階に進みます・・・やはり直接耳に音を伝えるスピーカーが判り易いのかもしれません。 はじめの一歩がアンプでなくスピーカーで始まっていれば、もう少しアップグレードの速度が速かったのかもしれません。 少しの落胆と回り道・・・次へ進みます。 スピーカ選定もカタログと睨めっこで始まり・・・慎重に吟味のつもりが、全く持って馬鹿げた理由で又もや簡単に決まってしまいました。 VICTOR SX-3 27,900(1台、1973年頃) 低域用:25cmコーン型  高域用:5cmソフトドーム型  88dB/W/m 外形寸法 幅315x高さ520x奥行290mm  重量 13.3kg 馬鹿げた理由?とは、デザインとドイツのコーン紙、簡単なものです吟味の必要は有りません・・・見たまま・書いて有るまま、アンプの購入時には無かった、試聴環境がスピーカの場合は条件に制約があるとは言え多くのお店に有りましたし、当然試聴はしましたが、試聴する前に決まっていた状況で、正当な判断等出来ません・・・まあ、この程度鳴れば良しとしましょう!・・・こんな感じだったと思います。 デザインの何が気に入ったのか? ツルっとしたキャビネットの色と表面加工・対照的な黒のパンチングメタルが独創的で、当時のスピーカーは従来からの濃い目の木製キャビネットに布地のサランネット、何十年と変わらぬ姿でメーカーの区別も付かない、加えて当時空前の大ヒットスピーカー・ダイヤトーンのDS251が君臨し、マーク2も発売され、この流れを支持し同一方向へ進むオーディオ界への、アンチテーゼ的な感情も混じっていたのかもしれません・・・天邪鬼ですから。 ドイツ・クルトミューラー社製KDUコーン紙の採用、この言葉だけで正直音なんか何処かえ飛んでいきました。ドイツ・クラシックの本場音楽の判る人達が作った物、悪かろうはずは無い!・・・外国製品へのあこがれの強い青年でした。 そして、出てきた音に「愕然」としました!!! 此れほど酷い音に出会うとは思いもよりませんで

「オーディオの始まり」DENON PMA-300Z

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コロムビアのアンサンブルステレオで色々なジャンルの曲を聴き、それなりに楽しみ、数年が過ぎた頃、スーパーの2階フロアーの一角にオーディオコーナーが有る事を発見。 この時代はオーディオショップはもちろん、家電チェーンストア(ナショナル・東芝・日立など)の店頭はオーディオ一辺倒、もちろんソニーも直営専門店で展開、百貨店(デパート)も1フロアーをオーディオにスペースを割り当て随分盛り上がっていましたが、町中の多層階の少し特殊なスーパーでしたが、スーパーに変わりはなく1フロアーの大きなスペースに、ブックシェルフスピーカー30~40組、アンプ30台、チューナー30台、プレーヤー20台、その他諸々が展示されていたのには驚きました。 感覚的にオーディオは趣味性が高く高級な物と思っていましたから、ほうれん草やダイコンを手に、聞いたり観て回り、買って帰る・・・無いですね!! 只、全くコンポーネントに興味が無かった私にも、十分なインパクトは有りました。 この日以来、気が付くとコンポーネント製品に目が向いていました。 こうなると普通は何か欲しく成ります、何にしましょう・・・・知識が有りません・・・困った挙句は、物理スペースの問題で解決する事にしました。 スピーカーはサイズ的に、アンサンブルステレオとの共存は無理、レコードプレーヤーも縦横がスクエアーで収まりが、すこぶる悪い・・・チューナーは最初のコンポーネントとして相応しいのか?今一つピント来ない・・・結局、全てを束ねるアンプが一番重要かも?漠然と感じ決定!!! アンプ選定作業は難航を予想しました・・・DENON PMA-300Zに決定! 小さな頃から数字や表を見るのが好きで、カタログの見比べの段階で決まってしまいました。 カタログの何が琴線に触れたのか? 私の幼い頃、外国から物が押し寄せていました。 少し前の外国製品=中国製=粗悪、とは真逆の、アメリカやヨーロッパからやって来る物は、とても華やかで・素敵で・・・1960年代のLIFEやTIMEなどの雑誌を見ると、今でも憧れる物が溢れていて、アメリカの底力を感じます。 DENON PMA-300Zが発売された頃は、一般家庭に流通する電化製品の性能向上は著しくアメリカをも席巻し、舶来(輸入品)のアドバンテージは、今と同様に一部の高級品に限られてい

「オーディオの序章」Columbia アンサンブルステレオ Ensemble Stereo SSA-503S?の記憶

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ある日の午後、ステレオが我が家にやって来た その日まで音の出る物はテレビしかなかった。 映像が無く、音だけの世界・・・不思議な感じがした。 その個体はテレビとは違い、茶色の光沢を放ち・・・暗い室内では漆黒の輝いた。 電化製品では無く、「調度品」後で知ったがピアノ仕上げに似た塗装は高級感一杯で、手で触れても今まで知らない不思議な感触・・・初めてが押し寄せる。 「イメージ画像と良く似た感じのコロンビア製(SSA-503S ?)だったと思います、上蓋が開くタイプでプレーヤー部とチューナー部は中に格納され上から操作します」 「イメージ画像・こんな感じに開き操作します」 まだ音はしない・・・拝めと言わんばかりの威厳がある 3枚のレコードが用意され、ジャケットから出されたレコードは今まで見た事が無い「黒くて艶々光る」異形の物・・・ レコードは見た事も有るし触った事も有る。 蓄音機の時代のSPレコードが我が家には300枚程有ったが、蓄音機は遥か昔に無くなっていて、古いSPレコードが埃をかぶり・すり切れ無造作に積み上げられていて「黒くて艶々光る」物では無かった。 小さなころSPレコードが何をするものか知らず、円盤代わりに投げて遊んでいた、宙を飛び地面に落ちるときパッキンと割れる、その音と割れっぷりが楽しくて、何枚も投げて遊んでいた記憶ある・・・なんと恐ろしい遊びだ!!・・・子供だから許される・・・とんでもない事だと、少し大きくなった時気付いた・・・未だに黒歴史として記憶に残る。 家も人が住まなくなり、主人を失うと荒れていく、我が家のSPレコードも父の物で有ったけれど、当の昔に他界、価値の判る者がいなくなると、哀れで有った・・・父が知らなくて良かったと今も思う。 初めて聞いたのは J.S バッハ トッカータとフーガ ニ短調( Toccata und Fuge in d-Moll)BWV565 (アルヒーフ盤だったと思いますが、バルヒャかリヒターか、もはや記憶に有りません) 此れには驚きました!!!・・・驚愕・愕然・・・私の音楽観(人生観かも)はこの時決まった様に感じます、人生の節々で何度も何度も、頭を過る事に成ります・・・でも曲では無いのです、この時感じた雰囲気や感触が五感に刻みこまれ、体中を駆け巡るのです。

「オーディオの終焉」から20年振りの再会 THIEL 「CS7」「 CS7.2」

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散策の途中で一本の「のぼり」に目が留まりました。 「古書即売」 以前は古本屋さんに良く通いましたが、デジタルとBOOK OFFの時代と共に、古本の匂いも忘れていました。 何故立ち寄ったのか良く判りません「のぼり」に惹かれた感じでしょうか? さほど関心が有る訳でもなく、ぐるりと一周、本に対し失礼かと、もう一周・・・先ほどは無かった「グリーンの厚い本」見覚えが有ります。 この頃の思い出が・・・20年振りに蘇ります。 今は過去の物となったオーディオが、ページをめくるたびタイムスリップ これから書く事は過去の話・・・初めは「オーディオの終焉」から 「オーディオの終焉」随分大袈裟な話の様ですが、私的「オーディオの終焉」・・・ 個人的にオーディオと別れを告げるターニングポイントになった年の事です。 1999年の本ですが、内容は前年の1998年発売新商品までを含む現行商品を網羅したガイドブックに成ります。 1998年に私のオーディオは終わりました。 25年続いた趣味のオーディオに引導を渡された年に成りました。 オーディオショップ開催の視聴会で1組のスピーカーを見て聞いて・・・違うと感じた時、会場で音楽を聴いてるはずの自分が、会場の上の、音のしない空間から、20人程入った会場を眺めていました・・・「幽体離脱」・・・心は此処に無かった。 THIEL CS7 ¥1,600,000(2台1組) 1996年発売のスピーカーをみて感じた事は「高い」値段も物理的な高さも・・・カタログの製品紹介を見て「理論倒れ」な感じがしました。 モデルナンバーにも採用の「CS」コヒレントソース・デザインのコンセプト 時間軸特性、位相特性、周波数特性などの諸特性を厳密に整合する目的の為、ネットワークには1次(6dB/oct)を採用の記述・・・凄い事なんですか? ネットワークの前に振動版が凄いぞ !!! どうだ感が「凄い」・・・ オール・メタルコーン・スピーカーは1976年にローディー(日立)Lo-D HS-530 (\53,000)がスチレンペーパーや樹脂をア ルミでサンドイッチした構造ではない完全メタルのウーファー(25cm口径)発売、翌年には今回の

猫なりに「キジトラ猫・片眼」「明日は話をしようよ」猫語で「にゃごにゃご」

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いつもの キジトラ・・・ 思わぬ処に居た いつもの様に体を丸め、綺麗に前足を揃える猫・・・いつもの キジトラ ・・・今日も元気で会えた 振り向いたキジトラ・・・片眼・・・昨日の キジトラ とは違う 昨日・今日のケガ?・・・ずっと以前の・・・はるかに前の・・・もしかしたら・・・生まれた時からかもしれない 家猫は幼い頃から一緒に居て足跡をたどる必要も無い・・・ このキジトラの今日まで猫生は随分な・・・「よく頑張ったね」・・・これで良いのかもしれない 大胆に・強かに・慎重に・・・動物界で片眼は・・・ 猫語?・・・「にゃご・にゃご」・・・はっきり聞こえた「鼻と耳」・・・「にゃあ」と返した「了解」 優しい猫・・・猫に気遣いされてしまった・・・ 「にゃご」一言残して歩き出す・・・「にゃあ」と返して後にする 20歩ほど歩き振り返る・・・茂みの中で此方を見ている・・・「頑張れ!」